バイクは楽しい 三月のクイズ   回答                       戻る

 
第1問 回答欄( E、C、B )
川崎重工業の企業構成は2011年(平成23年)現在では以下のカンパニーで構成されている。
売り上げの多い順に三位までを列挙して下さい。
@船舶海洋カンパニー A車両カンパニー B航空宇宙カンパニー Cガスタービン・機械カンパニー Dプラント・環境カンパニー Eモーターサイクル&エンジンカンパニー F精密機械カンパニー
グループ連結での売上構成は、船舶海洋事業9.6%、車両製造事業10.9%、航空宇宙事業16.0%、ガスタービン・機械事業16.5%、プラント・環境事業7.2%、モーターサイクル&エンジン事業19.1%、精密機械事業11.4%、その他事業9.2%となっている(2011年3月期)。
 
第2問 回答欄( ○ )以下、正しい場合は「○」
川崎重工業の二輪車の生産は、川崎航空機(現在の航空宇宙カンパニー)が戦後の1958年(昭和33年)にメイハツとして二輪車用エンジンの製造を始めたことに由来する。石×動機
1964年(昭和39年)に大型二輪車メーカーのメグロを吸収し、大型車の製造に進出、以降モーターサイクル&エンジンカンパニーが製造を担当している。    左上は125エース 他は名前不明です。
 

    125エース

 

 

                        タンクから「Meihatu」の文字が読めます。
第3問 回答欄( ○ )
川崎重工業は健康器具を生産しています。ドリームプラス
 
第4問 回答欄( ○ )
カワサキワールドは神戸ポートタワーの前にあります。そんなことどうでもいいから、さっさと入りましょう!入場料は大人500円です。
 
第5問 回答欄( A )番号を記入
川崎重工業の過去に生産しなかった物は?
@冷蔵庫 A
洗濯機 B草刈機 C除雪機 D発電機
 
第6問 回答欄( × )
川崎重工業は神奈川県川崎市で製鉄所を始めた。これが現社名の由来です。
1878年(明治11年) - 川崎正蔵により「川崎築地造船所」として設立。
第7問 回答欄( ○ )
松方コレクション(上野の国立西洋美術館にある西洋近代絵画)は川崎重工業のかつての社長、松方幸次郎が収拾したコレクションです。                    代表的なコレクション
 

ゴッホ/ファンゴッホの寝室                         モネ/水練  

 

ルノアール/アルジェリア風のパリの女たち          ロダン/地獄の門(屋外展示)  
松方コレクションは多くの遷移を経て大量の美術品が世界恐慌(川崎造船所の経営破綻)や第二次世界大戦の影響で国内国外へ分散していった。フランスへ預けた428点サンフランシスコ講和会議(1951年)で返還される事になった。重要なゴッホヤゴーギャンはフランスが譲らず370点が返還された。

以下は私の芸術観です。

近代絵画との出会いは私の人生を大きく変えた。絵描きになりたいと真面目に頑張ってもみた。思うに、これらの絵画は日本がパリ万博に参加した事により開花した芸術であり、当時の欧米社会の変化変革にも大きく影響を与えた。民主主義社会の広がりは一般民衆の芸術への理解を深め、絵画のモデルも一般民衆やその要求が題材となりました。当時のメディアは今ほど多様ではなかったので、絵画は民衆の要求を訴える意味で、大きな役割を果たしたりもしています。典型的な例はピカソのゲルニカがそうです。皮肉な事に、ここからヨーロッパの第二次世界大戦が始まった。戦後、日本に「松方コレクションが戻る」この報道に日本中が大喜びをした。何故なら敗戦は日本人の心を打ちのめしていた。これらの貴重な絵画(日本に影響を受けた近代絵画)が戻る事で希望を取り戻す原動力になった。

 1999年私はヨーロッパを35日放浪した。この時出会った人達にチャイニーズ?コリアン?ジャパニース?と口々に問われ「ジャパニーズ」と答えると、ヨーロッパ各地で、出あった全ての人がにっこりと笑顔になった。恐らく日本は憧れの国なのであろうと思う。近代絵画の巨匠達は当時の写実主義一辺倒の時代に、浮世絵(民衆絵画=殆ど木版画=安価)の大胆かつ単純な構図や高度な技法が驚嘆の一語に尽きたに違いない。当然の事であるが当時のヨーロッパの画界に大きな影響を与えた。松方の集めた作品は驚嘆の結果であり、ヨーロッパが日本を認めた証明でもある、私達日本人の財産であると断言できる。様々な絵画に民主主義の進化と前進を見ることができる。パリコミューン(ジャンウダルク/ドラクロワ)がその象徴的な作品です。セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ルノアール・・・も同じく民衆が主題です。王様の写真機から民衆の要求を描く事への変化は民主主義の発展の結果とも言える。芸術やスポーツはあらゆる意味で政治にも影響を与え続けてきた。現代の民主主義はシーザーの思い描いた民主主義とは異なるかもしれないが、アーサー王に引き継がれた人類の長い歴史の財産が、今ある民主主義の姿を構築してきたのではないだろうか? 芸術は民主主義と似ている。互いの(人と人、国と国)尊厳と信頼関係をスポーツや芸術を通して理解を深める事により無益な血を流すことなく限りなく発展を続ける。技術の発展も良く似た歴史をたどってきた。より良い製品を競い合い生み出す。この恩恵により更に豊かな発展と未来がある。人間に不可欠なものは感動です。美しい絵画に感動しスポーツに感動し自ら操るバイクに感動する。言語を超え肌の色を問わず涙と笑いの全てを満喫できる事が人生の全てです。

 ちなみに音楽もとても好きです。近代絵画の同時代の音楽で象徴的に思えるのはクラッシックでは、ベート-ベンの英雄が元題は「ナポレオン」だった。皇帝を冠した瞬間、英雄交響曲となった。時代は異なるのだが、ジャズも人種差別撤廃運動に参加したオスカーピーターソンの自由への賛歌があり、チェコでのヘイジュード(89年ビロード革命)は政治形態を変える原動力となった。芸術は心の自由を最も単純に表現できる手段なのです。同時に多くの人に感動と共鳴を育みます。 芸術万歳!

一日本国民としてかつての川崎造船社長、松方幸次郎氏に畏敬の念と感謝に絶えません。

第8問 回答欄( ○ )
ドーバー海峡のトンネルを掘ったトンネル掘削機は川崎重工業の製造した機械です。
英仏海峡トンネルは主にTBM工法で作られたが、シールド工法も可能なTBMが使われ、地盤の弱い区間などがシールド工法で作られた。
計11機(イギリス製6機、日本製4機、アメリカ製1機)のTBMが発注され、イギリス側から6機、フランス側から5機で掘り進められた。日本製のうち2機は川崎重工業製である。
フランス側からの掘削に参加した川崎重工業が、かなりの難工事をこなしたことで、『プロジェクトX』にも取り上げられている(放送は2001年9月25日)。
通常、トンネルの両端から掘り進むTBMは、トンネル中央部まで来ると、自身をトンネル構造物の一部にしたり、左右に掘り進んでそのまま埋めて投棄する。
TBMが各建設事業ごとのオーダーメイドで他の工事では使えない事、地上まで運び上げるよりは埋めてしまったほうが安上がりな事などから、このような方法がとられる。
イギリス側のTBMは掘削完了後、下方向に潜り込ませ廃棄されたが、フランス側のロビンス/コマツ、ロビンス/川崎重工業のTBMはイギリスまで進み、地上に記念展示されたのち分解された。

 
第9問 回答欄( ○ )
トライアンフは現存する最古のオートバイ製造販売会社のひとつであるが、1990年にカワサキの技術を取り入れ、1991年には車両の本格生産を開始した。
ニュルンベルク出身のユダヤ系ドイツ人であったシーグフリード・ベットマン(Siegfried Bettmann )が、イギリスのロンドンで1885年に設立した輸入貿易会社「ジークフリード・ベットマン貿易会社」(Siegfried Bettmann & Co. Import-Export Agency )がトライアンフの原型である。1990年には新会社の準備も整いレスターシャーのヒンクレー(Hinckley )工場を稼動開始、同じオートバイメーカーであるカワサキの技術を取り入れ、新型トライアンフとしてまったく新しい水冷直列3気筒あるいは水冷直列4気筒を搭載した一連の車種を発表し、1991年には車両の本格生産を開始した。
 
第10問 回答欄( ○ )

ノーベル賞受賞の山中伸弥京都大学教授が開発した人工多能性肝細胞(iPS細胞)の自動培養装置を川崎重工業が生産している。

世界で初めてヒトiPS細胞の自動培養に成功 川崎重工業の自動培養装置

 

この回答に問題点やご意見がある人はフェイスブック「鶴見正徳」宛てに投稿下さい。